読書
荒和雄「支店撤退」
荒和雄「支店撤退」、副題は銀行の内幕
バブル崩壊後の「あおぞら銀行」という下位都市銀行の浅草支店
地元浅草出身の高倉が支店長として移動してから1年で閉鎖が決まる
作者は元都民銀行出身で、浅草支店にも支店長として勤務していたようで、銀行の勝手な振る舞いを批判しているようだが、逆に現場で働く支店長奮闘記みたいなもの
私も自分の取引銀行ではないが、「銀行の身勝手な振る舞い」には泣かされました![]()
みずほになる前の第一勧銀
取引先の会社の債権を自ら取り上げ、いきなり会社と社長個人の口座を閉鎖
この時、社長は全く使い物にならない息子を現場に連れて、噴水のメンテナンスに来ていた
突然の事態が、携帯で知らされる
慌てふためいて、会社に戻る社長
その後、どうにもならず民事再生手続きも出来ないまま、破産
何があったのか、経営実態の正確な詳細は未だに分からないし知りたくもないが、お陰で我が社は2500万円の不渡り手形を掴まされてしまった![]()
第一勧銀は不良債権減らし・融資引き上げを急いだのだろうけど、工事受注残等からしてこの会社を潰しても得なことはなかったようだ
でも、そんなことはどうでも良い
第一勧銀の身勝手な行為のお陰で、こちらは2500万円の不渡りですよ![]()
他にも2000万円超の盤屋さん
二人で一緒に「なんとかしろよ」と、ダメ元でも社長に掛け合いましたよ
この時急遽借り入れた借金は、もうとっくに完済したので、今は平然としておりますがね
眠れませんでしたよ、ホント
お陰様をもちまして、創業以来22年、銀行に泣かされる事態は経験しないですんでるが、明日は我が身と絶えず心得えていないといけない
この国の銀行は、この国が変わっていないんだから、体質は全く変わっていない
かつて11あった都市銀行が今や3つ
大昔に叫んでた文字どおりの金融寡頭制
そんな支配形態とは無関係に、零細会社が銀行と付き合う方法の一つは、プロパーでは借りないってか
まあ、借りられる人が言うことですが・・・
大幅に話がそれましたが、この「支店撤退」、顧客に迷惑がかかるとか何とか言いながら、結構のんびりとした銀行内のお家のお話でした
きっと、荒和雄さん、いい人だから都民銀行お辞めになったんでしょうねぇ
重松清「ビタミンF」
重松清「ビタミンF」
10年くらい前の直木賞
7つの小編
それぞれ違うって言えばそうだけど、別にどうって・・・って言ったら言い過ぎですかね
ごく普通に、昔の言葉で言えば、小市民的
読んでて苛つくのは、読み手の精神状態が悪いからなんだろう
「優柔不断」というのが全編貫いていて、スッキリ来ない
30台後半の妻子持ちの話だが、この年代をオジさんがかってるとするには、どうも納得出来ない
多分、世代あるいは時代が違うのだろうか?
結婚して、家のローン有り、子供小さい・・・
これだけを取り出したら、シバリが効いてオジさんっぽくなるから?
そんな括りはあまり有効じゃない
それぞれの短編の結末は、家族っていいねで終わんなきゃいけないんだけど、この話じゃそんなにいいと思ってくれないんじゃないかね
オジさんの入り口世代にとってのビタミン剤なんだとしたら、他の世代や多分女には消化不良になりそうだね
少なくとも私の周囲の20・30台は、家族や絆なんて言葉に、そんなに切実に何かを託そうとしてないみたいだし・・・
飲んだくれて、本体喪失、残存表紙
どこにいったやら・・・
浅田次郎「霞町物語」
浅田次郎「霞町物語」
ここんとこ、少々お忙しいのでブログも今一つなのだが、お忙しい理由は、お仕事である
チョットばかり新しい噴水をこしらえているのだが、土日に時間が取られると、夜パソコンの前に座るのがメンドクサイ
往復の通勤時間はほぼ唯一の読書時間であるのだが、そこそこは読めている
本がないとパニクるからね、マジで・・・
だから、何も知らずに懐に入れた本を電車の中で読み出して、つまんなかったりしたら、もう大変である
深呼吸をして、活字を一つ一つ丹念に追いながら、じっと本の中に己の小心が入り込めるのを願うのみである
情けない限りである
んで、「霞町物語」であるが、7割方ハズレ
作者自身の少年時代みたいだが、厭なガキだね
私も同い年で、東京の下町育ちだが、ガキの頃を過大に美化した話は辟易するばかりだ
嘘っぽさがハゲた頭のてかり脂のようで、ちっとも輝かない
まるで肥え太り、力なく垂れ下がった腹の脂肪を後生大事に延々と持ち歩いているようだ・・・
ここまで言うこたぁ、ないか
秀才の同級生の美少女が、作中に出てくるように性に積極的であったりしたら、オレの人生はつまんなかっただろうね、きっと・・・
主人公の少年は、霞町の写真屋の3代目
もちろん継ぐ意志はないのだが、お爺さんが「伊能夢影」の号をはる創業者
親父はその弟子であった
お婆さんは元芸者で、どうやら母親もお爺さんの子供ではなさそうだ
お婆さんとそのお相手の話も出てくるが、お婆さんはいくら江戸っ子だって、あまりのも良く描き過ぎ、小説的過ぎ
だけどお爺さんは、いい、素晴らしい
生きられたらこんなジジイになって死にたい
自己制御出来ているような斑ボケの感じが、何とも言えず恨めしい
どうせなら、お爺さん愛用のライカについて、お爺さんの蘊蓄が聴きたかったね
22年前に独立して、構えた事務所は六本木7丁目で、隣のビルは西麻布との境界だった
すぐ傍にホテル霞、これはまだある・・・と思う
角田光代「対岸の彼女」
角田光代「対岸の彼女」
3年くらい前の直木賞
なんのことやら合格ですかね・・・
・・・
高校時代の葵とナナコ
35才の小夜子と葵
葵を軸に二つの女の子の関係が並行して語られる
オヤジには解らない領域と言ってしまいたい
この手の少女が登場する本には、すこぶる弱いからです
二つの単語がボケた頭の中に残ったね
一つは、「けなげ」
バカオヤジが弱い原因は、ここにある
何故かしらねど、我々の時代よりも比較にならないくらい中学・高校生活って送りにくいらしいって、ホントかね?
あたしにぁ、今も昔も差ほど変わらないような気もするが・・・
イジメは40年前もあったし、教師は昔も頼りなかったし、親には頼れないし・・・
下町育ちだけど、地域のコミュニケーションも崩壊しかかってたし・・・
よく言うよね、「昔は大人が他人の子供を叱ったもんだ」って、ホントにそうだったかよ
まあ、いいや
にしても、女子が群れるのは仕方ないにしても、小グループでイジイジとした希薄かつ浅はかな群れがあったにしても、一時的にせよどっかの群れに帰属していないとその時代をやり過ごせないにしても、けなげなもんだね、葵、ナナコ、小夜子は
大抵の現実の人は、そんな糞みたいな境遇を何時断ち切るのかしら?どうやって脱出するのかしらね?
彼女たちがそれに成功しているとは、言い難い
ナナコはどのグループにも属さずにアッチコッチに顔を出すが、仕舞いには総スカンを食らう
自分の境遇からしてそれは予期していたのであろう、悲惨な自宅に葵を招いて、ナナコはうそぶく
「あたしは色々言われているけど、ぜんぜん平気なんだよ」
「大事なものが学校にはないから?」
「それもあるけど・・・今みんながあたしについて言っていることは、あたしの問題じゃなくて、あの人達の抱えている問題。あたしの持つべき問題じゃない。人の抱えている問題を肩代わりしていっしょに悩んでやれるほど、あたし寛大じゃないよ」
葵はナナコと共に一夏の伊豆の民宿のバイトが終わると、ナナコの「帰りたくない」という悲鳴に連帯!し、当て所ない逃避行に入る
そして手を繋いで飛び降り自殺
ここオジさん解んない・・・
その後の展開、書くの面倒だから止めるけど、二つ目の単語は「熱い」
35になって、思いつきの会社経営者になった葵に、亭主子持ちの主婦、小夜子という同い年の「対岸の」女が巡り会う
けなげに少女時代を送り、大人になって熱くやってくれる
けなげだったから熱いオバサンになれたんだろうね
なかなか熱い女ってお会い出来なもんで、ちょい、気になってしまいました、です・・・
しかし、解らん領域でんな
矢口敦子「償い」
矢口敦子「償い」
昼飯食った後、六本木あおい書店で腹さすりながらウロウロしてたら、オジさんが入店するやこの文庫本をいきなり取ってレジに直行
へぇーっと思い、平積みを見たら何か札が立っていた
「感動!」とかあったと思う
つられてバカオヤジは買ってしまったのだが、
ふざけんなよ
どこが感動だよ
駄作もいいとこ、つまんない!
ミステリィとしても面白くない
主人公は元医者
医療ミスや病院内の争いに敗れ、妻子を死なせ、「野宿者」になった
ホームレスとは言わないで「野宿者」を連発する
扱っている題材のもつ社会的意味なんて一言もなし
野宿者になった主人公は、自分を固有名詞から普通名詞になったと言う
なんの意味があるんだろう?
ホームレスや野宿者である人間は、既に「個」がなくなり、野宿者と呼ばれて括られていると言うことのようだが、ここにコイツの社会に対する立場がある
一見社会的な問題を取り上げながら、ただそれをくだらんミステリィの道具にしか利用しない
「弱者」をポコポコ殺しといて、悲哀も、悲惨も滲み出てこない
だから登場人物も浅はかなペラペラな奴にしか書けてない
矢口敦子という作家に怒ってもしょうがないが、つまらん札を立てんなよな、あおい書店さんよ
ったく!
横山秀夫「震度0」
横山秀夫「震度0」
ご存じ警察物
文庫版の売れ行きもかなり良いらしい
でも、これ横山秀夫の警察物としても大して面白くないよ![]()
警察官僚の矮小さ、キャリア・ノンキャリアの永遠に溝の埋まらない確執
そんなのはもう当たり前のように読んできたし、現実もこんな物かそれ以上なんだから驚くに値しない、新鮮味に欠ける
話の中心はN県警警務課長が失跡![]()
その日に神戸大震災が起きる
激震の神戸大震災の刻々と増える被害状況を一方で書き、震度が6か7か、激震か烈震かと出しながら、同時系列にN県警上層部で繰り広げられる茶番劇を地震になぞらえている
しかも阪神淡路大震災については殆ど一言もコメントがないのだから、ここには結構批判もあるようだ
しかし、これが警察の実態なんだと言うことだろうから、ある意味では真実突いてて良いのである
最後に準キャリががんばろうとするところで終わるけど、所詮準キャリ
キャリア優等生の冬木には敵わないし、警察組織を正すだなんて・・・
そりゃ革命でもできませんよ、あなた
ここんとこは壊滅させなきゃ![]()
有吉玉青「身がわり」
有吉玉青「身がわり」
副題に「母・有吉佐和子との日日」とあるように、大流行作家の娘さんが書いた自叙伝
正直言って、残念ながら、面白い
口惜しさも入り込んでおります
有吉佐和子の娘という宿命か呪縛かは良いとして、幼年時代、その役回りが厭だと強く感じながらご立派に成長なすったのは、見事という他ない
書いてある内容はどうでも良いようなことばっかりなのに、読んでしまう
鼻持ちならない部分も多々出てくるが、面白いと感じされるのは、母・有吉佐和子の人間性に依るところだと思う
かなり凝り性だったようで、娘が高校生の時、高校野球に入れ込む![]()
甲子園中継は全てビデオ録りしていたそうな
テレビ観戦で我を忘れて没入出来る奴は、羨ましいと思うのだが、お母さんは大学野球、プロ野球、大リーグへと、その凝り性を狂気っぽく拡げていく
娘はお母さんに野球をするならどこを守りたいかと訊くと、「キャッチャー」と言った。どうして?
「『キャッチャーには全部が見えるのよ。キャッチャーは、その試合の演出家だもの』」
とお母さんは言ったそうな
娘はこの母の答えの直ぐ後に、こう書いている
「ちらっと、演出家の顔が覗いた」
ねっ、厭じゃない?こういう娘
親を越えられないって、こういう事だよ、バカ![]()
ところで有吉佐和子は一度結婚して(62)、玉青を産んで(63)、離婚している(64)
お相手は神彰
呼び屋と呼ばれていた時代のプロモーターで、実績見ると殆ど旧ソ連
ドンコサック合唱団招聘(1956)は衝撃的だったらしく、ボリショイバレー団、レニングラード交響楽団、ボリショイサーカス、なんかも戦後日本の文化振興に多大な貢献でしょ
ちなみにアートブレイキーなんか2度も呼んでるし、ソニーロリンズの名前もあった
さて、この神彰さん、離婚後会社倒産の憂き目にあうが居酒屋「北の家族」を立ち上げ復活なさっている
30年以上も前、物凄く昔の話だけど・・・関係ありませんでしたね![]()
桐野夏生「I'm sorry,mama」
桐野夏生「I'm sorry mama」
のっけから67才の元保育士の女と25才年下の男のつつましやか?な結婚生活が出てきたと思ったら、いきなり灯油をかけられ焼き殺されてしまうというワクワクした導入。
犯人は「アイ子」
おぞましい物語の主人公である
何人もの人間を焼き殺したり、絞殺したり、婆さんを風呂場で沈めたり・・・
一度も呼ばれていないが「連続殺人鬼」
何もかもが、まともに見たらグッと下腹に力を入れてないと口から何かが出てきちゃいそうな描写の連続で、とても良い
オジさん好きである![]()
文庫本版解説の島田雅彦はアイ子を「モンスター」と呼んだが、そうなんだろうか?
毒入りカレーの林眞澄美、自分の子供と隣家の子供を殺した秋田の畠山鈴香はイイとしても、給食費不払いの親、子供虐待の親も「ペアレンツ・モンスター」だそうだ
夜中にゴミを出す主婦、騒音をまき散らすオバサンに対しても「死ねばいい」と内心思っている、そうだ
「誰だって瞬間的に殺意を抱いたことくらいある。ただ、自分には守るべき家族や対面もあるから、殺意を抱いた瞬間に、鼻で笑い、寛容さを取り戻すのである。逆に言えば、ここで我に返ったりせずに、アイ子のようにおのが悪意や怨念にのみ忠実に存分に破壊衝動を解き放つことが出来たら、さぞ爽快だろうと思うはずなのである。むろんそれは自己責任を伴わない妄想に過ぎない。しかし、妄想の中ではアイ子のようにな怪物になり、気に入らない奴等を皆殺しにすることもできる。」(島田解説)
ただ小難しく言うだけが取り柄の島田雅彦も、ここでは分かり易く当たり前のことを言うに過ぎない。
「ヒューマニスト」だからだそうだ
「『連中にはモラルなんて説いても無駄だ』とか『本能が壊れている怪物の再教育は困難だ』とヒトはいう。だが、私たちはその怪物の心中を知ることが出来る。なぜなら、私たち自身の中にも怪物か潜んでいるから。それを何とか飼い馴らそうとすること、それが多かれ少なかれヒューマニストである私たちに与えられた義務である。」(島田解説)
なんと分かり易い解説であることか
ヒューマニストだからなのか?
でもこの内なるモンスター論は,誰でもおかしくなるんだよと言っているだけで、昔っから言われている
取り立てて何だというわけではない
でもね、モンスターは飼い馴らすことなんか出来ないんだよ
だからモンスターなんです
でも、こんなことはさほど重要ではない
この本の登場人物全部が、なかなか凄味があってよろしい
その辺の当たり前の人物なんか一人も出てこない
登場する余地がないってとこが、およろしい
ただ「ヌカルミハウス同窓会」はいらないと思います
この娼婦の同窓会は普通っぽくて、よくわかんない・・・
多島斗志之「不思議島」
多島斗志之「不思議島」
だからぁ、オレは推理物嫌いなんだよ![]()
っていう本
読者を欺いてやろうとばかりに、最終局面で幾度もひっくり返そうとこねくり回す
ますます無理が見えてきて、どんどんつまらなくなる![]()
筋書くのもめんどくさい
主人公の女
倫理観に富んでいて、中学校の教師
つかの間ではあるが肉体関係を持った男を撲殺する
実際には死んではいないが、何故殺そうと思ったかが、全く分からない
かと思えば、自分をレイプしようとした幼なじみを、小手打ちして撃退したからなのか、許してしまう(彼女は剣道を習っていた)
つまりは何でもありというかどうでもいいのね
謎解き・推理の筋立てにとっては、その辺の心理描写なんて大した問題じゃぁないのね
女の気持ちなんてどうでも良いんでしょ、フン![]()
何にしてもあまりにも馬鹿らしいので、読まないように![]()
新井満「ヴェクサシオン」
新井満「ヴェクサシオン」
「いらだち・苦悩・癪の種」という意味だそうだ
CFの寄せ集めのような小説
サティが流れている部屋
人物を入れず海を映しただけの環境ビデオ
小学生時代に聴力を失った女と出会い、妊娠、結婚
斜視による幻影のような視覚世界
どこで「ヴェクサシオン」の意味と繋がるのか今一つ分からん
それよりもなによりも入り込めなかったなぁ
つまんないって事ですかね![]()
サティも今では挿入曲等で頻繁に使われるようになって、珍しくなくなった
オジも若かかリし頃、初めて聴いた時はビックリだったね
「透明感」をいつまでも持続出来る
のろいテンポに苛立つどころか、密やかに身を委ねる安堵と緊張
現実の我が身は酒に身を委ねておりまするが・・・![]()
阿川弘之「雲の墓標」
阿川弘之「雲の墓標」
読んだっけかな?と思いつつお買い上げ
数十頁のところで、フッと記憶の引き出しがガタピシ言ったので、本棚を見たらありました。
裏にはブックオフの100円シール。
ああもう読んだのねと思っても、僅かに開いた引き出しは「もうこれ以上開くもんか!」とばかり動きもしない。
結局最後まで読んで、読後感に憶えがあった。
京大の国文科4人が海軍予備学生14期として戦争にかり出され、死んでいく
吉野と言う人物の日記を中心に物語が進んでいくが、藤倉という級友の日記も間に織り込まれる
吉野は「時代」をそのまま受け止めて、戦争に対しても平均的日本人が持っていたであろうと思われる感情を抱いて、昭和二十年七月九日に遺書を残して終わる。25才。
藤倉は「時代」をややエキセントリックにとらえ、敗戦論をぶち、「この戦争を是認出来ず」、抜け出したいと思いながら、訓練中に死ぬ。三月一日。25才。
「・・・離陸してすぐ、頭を上げすぎ、失速して、あっという間に左翼から墜ちた。かけつけたときには、彼の顔に操縦桿がめり込み、眼玉はふたつとも唇の横までぶらさがって、後頭部は割れて白く、血もろくに出さずに死んでいた」(吉野の日記)
作中数少ない生々しい描写である
この藤倉を主人公にして描けば良かったのにと思う
吉野を主人公にしたおかげで、この小説が成立したんだろう
かつて誰だったかから、ノンポリ三人組(他は開高健、吉行淳之介だったかな?)と言われただけあって、安心して、落ち着いて、死へ向かう日記を読むことが出来る
つくづくオレは今幸せだなと思いながら、死を覚悟した若者の日記を読むことが出来る
死に向かって、死ぬために飛行訓練をし、死ぬために最後の同期生の離陸を見送り、短い遺書を残して逝った若者の日記を、安心して読むことが出来る訳は、藤倉ではなく吉野がメインだからなのだろうか
軍隊を「脱走」して生きることを真剣に考えた藤倉をメインに据えたら、とても安堵して読む訳にはいかないだろう
阿川弘之はそんな作家ではないという先入観も、面白く本を読むには欠かせない要素である
米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』
米原万里「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」
一昨年亡くなったロシア語同時通訳の第一人者
「醜女」にブスとルビをふっている
ATOKでBUSUと打っても醜女には変換されない(SHUUJOもしくはSIKOMEと打つと変換される)
何故彼女がわざわざブスとルビをふっているかは,冒頭にも出てくる差別語に対する姿勢から察せられる
ただし、本題には説明がある
「さて、原文に忠実かどうか、原発言を正確に伝えているかどうかという座標軸を、貞淑度をはかるものとし、原文を誤って伝えている、あるいは原文を裏切っているというような場合には不実というふうに考える。そして訳文の良さ、訳文がどれだけ整っているか、響きがいいかということを、女性の容貌にたとえて、整っている場合は、美女、いかにも翻訳的なぎこちない訳文である場合には醜女というふうに分類する・・・」
「貞淑な美女」が良いがいつもそうとはいかず、世の中の通訳者は圧倒的多数において、「不実な美女」か、「貞淑な醜女」をしているのだ、と。
同時通訳のなんたるかを全く知らない我々にとって、驚きの連続のような様々なエピソードを満載してある。
実に楽しい。
そして小気味よいくらいに下ネタの連発である。(趣味だったそうだ)
一部をご紹介
小咄「退職願い」
体の各臓器が会議を開き、退職願を募ることになった
真っ先に心臓
『私はこのろくでもない男のためにポンプ運動をやってるが、もうへとへと。そろそろ引退させて頂戴』
他の臓器は心臓の引き止める。
『君に退かれたら我々は皆一蓮托生ではないか。』
そして肺や、胃、腸などが同様の希望を出すが、その時片隅の方から小さな声が聞こえる。
「あのー、僕も引退したいんですが・・・」
一同はその声の方に向かって「チョット君、良く聞こえないぞ、だいたい発言する時ぐらいは、立っていいたまえ」
するとその声が答えるに
「立てるほどならこんなことは申しません」・・・
さらに後日談的な話が続く
この小咄はいつも受けるので、あるパーティでも話したところ、会場はシーンとしてしまった。聴衆を見渡すと、70才以上の老人ばかりだった・・・
こんなのは序の口でほぼ全文がユニークな逸話で溢れている。
ただしクドイ。何度も何度も通訳の特性についてアレコレ、翻訳との違いについてドレソレ・・・
この諄さは代々木だからではあるまいに
いままでどうしても米原万里の本を買う気になれなかったのは、
代々木だから(父親は米原昶)
これ、理由としては充分でしょ
生前、文春で書評コラムを持ち回りで書いていたのを楽しみにして読んでいた。鹿島茂なんかより面白かった・・・けど
月並みだけど機知とユーモアに富んだ才気溢れる女が、53歳という若さで身罷るのは残念ですね
Wikipediaによると東外大ロシア語学科に入学して、日本共産党入党。
東大大学院在学中の1985年「東大大学院支部伊里一智事件」に連座して党から除籍処分を受けたが、後に復党している、とある。
「赤旗」は彼女の死去に際して、党員歴を載せなかったそうだ。旧代々木出身系のブログ では「離党」したのでは・・・とあった
代々木は無意味に冷たいから「離党」だったかな
(そうであってほしいか)
逢坂剛「まりえの客」
逢坂剛「まりえの客」
題名の名前に心当たりがないではない
だからかわからないが・・・△
例によって筋に工夫を凝らして、最後に逆転劇を目論んでいるけど、押し出しで1点止まりというところでしょうか?
当人は洒落たジョークだと思っている勘違いおじさんだが、ここでは不発に終わってますな
お茶の水署シリーズだったっけか?二人組の凸凹コンビの刑事シリーズでは結構打率稼いでいるようだと思う
ワシ、これ好きでんねん
逢坂剛は構成がしっかりしている本が多く、無難ではありますが、いかんせんノンポリでんねん
エンターテインメントなんでしょうか?![]()
代々木公園 河津桜 3月15日撮影
便所の裏にあるよ
8500円のデジカメはズームが出来ませんでした
江國香織「りんご追分」
「翳りゆく時間」浅田次郎選(新潮社)という短編集に入っていた一つ
他には北方謙三、吉田修一、阿刀田高、浅田次郎、山田詠美、三島由紀夫
名前見ただけで読みたいと思うよね
でも、だいたいこの手は駄作が集まってる
江國香織「りんご追分」
わずか15ページしかない超短編
飲み屋ではたらいて早朝電車を降りた帰り道
無人の公園で聞こえてきたトランペット
「りんご追分」
そして泣く
「あたし」(女)が何で泣いても勝手だが「りんご追分」じゃなかったらどうだったんでしょうか?
分かり易い本がモットーなんだろうからどうでも良いか
吉田修一「みんなのグラス」
「集合」「邂逅」に向かってそれぞれの思いが、それぞれの立場から、それぞれに語られ、それぞれの過去と現在が浮き出されていくという良くある手法
「話したいことのある奴のビールは、話すのに忙しくてなかなか減らない。その代わり、話したいことがあるのに話せない奴のビールは減っていく。とどけられた時は同じ分量なのに、時間が経つにつれて差ができる。
言わなかったことの分だけ、グラスには泡の線が残る。」
最後の一節だけど、そうでしょうか?
反対でしょ
話せない時のがつまんないから酒も美味しくない、一人盛り上がってる時のがビールもグィッといくんじゃないかい
少なくともあたしゃそうだね
でも、グラスの中のビールの線を、今現在のそれぞれになぞらえるのは面白い
仲間とは良い線を作っていきたいもんだね![]()
浅田次郎「マダムの喉仏」
失敗作です
おかま書く時はご注意を
山田詠美「天国の右手」
どっかにも入っていたので2回目
山田詠美の中では許せるほう
セックス無しでは何も書けない作者には、不能はもう一方の必須アイテム
北方謙三「煙草」・・・×
どうでも良いけど、日経新聞連載の「望郷の道」
めっちゃつまんないぞ
早く止めにして、選手交代![]()
まさに現在進行形の経済小説を待っている読者は多いと思う
提灯記事書いてちゃスポンサーへの御配慮優先で難しいんだろうが、佐高信あたり小説書かせるの駄目かね
大沢在昌「氷舞・新宿鮫Ⅵ」
大沢在昌「氷舞・新宿鮫Ⅵ」
読み始めてから、もう2週間近くなろうとしているのに、未だに読み終わらない
540ページもある文庫版だが、通勤途中はもちろん布団の中、風呂場、トイレまで持ち込んでいるけど終わらない
風呂場じゃ危うく湯に浸かりそうにもなり、哀れな状態になってきた
面白くないわけではないのだが・・・・
最大の理由は寝床にある![]()
仰向けで本をかざして読む習慣になっているのだが、眠くなると顔面に鮫が落下してくる
厚さ23mm、重さ・・・馬鹿馬鹿しいので測らないが、結構イタイ
普段なら気を取り直して幾度か再挑戦するのだが、あまりにも痛いので癪に障って寝てしまうのである、からだろうか?
そればかりではない
そもそも晶という女がどうにも好きになれない
このシリーズ6番目の氷舞で鮫島は晶以外の女・江見里とやっちゃう
深夜、女から呼び出され、ホイホイ向かおうとした時に女の感とは鋭いもので、昌から逢おうと連絡が入るが鮫島はお断りする![]()
だぶん自分はやっちゃうんだろうなという確信に近い予感を持っていたからこそ、昌のお誘いを断って、やっぱりねってなもんですよ
この段階では、据え膳っぽいような、そうでないような・・・
一線を越える必然性が判んなくて、ページを後戻りしてみたけど意味不明
もうちょっと判りやすい説明が欲しいね
脚がきれいだったとか・・・![]()
ところでブログデザインを変えてみたけど、気がつきましたか?
上下の色っぽい飲んだくれ女の目に
チョット・・・
竹山博英「ローマの泉の物語」
竹山博英「ローマの泉の物語」集英社新書
ある業界の役員になっていて、ある執筆を仰せ付かりまして、そのための資料集めに買い求めた本の中の一冊
参考資料としては古代ローマ時代の水道敷設の歴史と、それに伴い泉の構築が富・権力の象徴、宗教的影響、飲用、洗濯、家畜の水飲み等の利用として数多く造られて事なんかが書いてあるが、それほど役には立たなかった
生業が噴水屋なので水に関わるものには興味があるから、なんとか目を通したけれど、最後の方はもう降参状態でした
文章にもうチョイ味があればとは、最初っから感じてしまうことでした。スミマセン。![]()
中世ローマ時代に有名な泉の建築家ジャーコモ・デッラ・ポルタが登場して、この建築家の人物像が少し推測出来たこと、また街中にある泉の衛生上の問題があり、ゴミを捨てるなとか唾を吐くなとか小便をするなとか、役所が布告を出して注意を呼びかけていることなんかは興味深かかったです
ポルタの代表作「亀の泉」は、イルカを押さえつける青年が亀に手をさしのべるというものだ
この亀とイルカにご注目
「ゆっくり急げ」とは皇帝アウグストゥスが好んで使ったそうだが、ルネッサンスの時代に、軽重、緩急等の相反するものを結び付けて「成熟」を表そうとする、「寓意的図像表現」が生み出されたそうだ
美術史家のエドガー・ウィントの「ルネサンスの異教秘儀」のなかに次のような「寓意的図像表現」の例ががあるそうだ
「錨にからみついたいるか、帆を張った亀、亀に縛り付けられたいるか、柱に取り付けられた帆、蟹の上の蝶、くちばしに時計の分銅を付けたハヤブサ、矢の廻りで体を丸めるコバンザメ・・・・・」
なんのこっちゃちっとも分かりませんが、竹山先生は次のように解説する。
「こうしたものは、人間的な成熟には、早さと忍耐強さ、大胆な行動と思慮深い抑制が必要なことを図像で示していたのである」
ふーん・・・
毒酒に冒され、花粉の飛散と共にむずむずし始めた鼻をかんだら脳みそが一緒に出てきちゃいそうなおつむには、想像力の欠片も湧いてきませんでした。![]()
ちなみに他に買った水の歴史に関する書物には、宗教的事象との関係を子細に研究したものが多くあった。人類の歴史の中に水が占める位置は、生存に関わるからこそきわめて大きなものであり、宗教的なるものと水とのつながりも重大なものである。
あの世に送るのに聖なる河に死者を流し、かつまたその脇では長い旅路の末、はるばるやって来て沐浴をするという光景
水の「清浄」概念に、衛生的清浄と宗教的清浄だけではなく、環境的清浄とか美観的清浄、社会的清浄や清浄度の違いから段階的清浄、階層的清浄なんて作り出していったらどうでしょうか(昔だったら階級的清浄、革命的清浄・・・
)
色んな水遊び、水商売が出来そうですな
この章、また次回
佐木隆三「新撰組事件帖」
佐木隆三「新撰組事件帖」
題名とは違い、ちっとも新撰組のおどろおどろした事件はない
池田屋事件くらいから第二次長州征伐、大政奉還まで
新撰組の事件話というよりも幕末の日本の政治変動についての方が記述が多い
新撰組局長近藤勇の幼なじみ瓦版屋文三郎を狂言回しとして登場させ、近藤との会話のなかに幕府・長州・薩摩を始め目まぐるしくも、複雑怪奇な幕末の一時期を語らせる
いくら近藤と幼なじみで新撰組に出入りしているからといって、瓦版屋が中央政治や、地方政権の人事まで詳しく知っているのはおかしいでしょう
新撰組も幕府内ではある程度の地位にまで辿り着いたとはいえ、在京都殺人集団の長がそんなに中央・公家の素性まで詳しく知っていたのかな
史実に基づいた小説なんだろうから余計に気になる
本としては今一つ、二つ、面白味に欠ける
文三郎が料理屋の女りょうと布団の中で、情事の合間にかわす政治談義も白々しい
話の合間に揉んだだの軟らかいのとあるけど、浮いちゃってるよ
そもそも近藤勇と文三郎が幼馴染みである事で、近藤との会話からこの激動の時代を覗くという設定があるんだから、幼馴染みでしか見いだせない時代の斬り方があっても良いのではないだろうか?
あまたある幕末小説のなかでは中の下・・・
現代物のドキュメンタリーは面白いのにね
青木玉「小石川の家」
青木玉「小石川の家」
幸田露伴の孫娘、といってももう80に手が届かんというお年
母親である幸田文が離婚して、露伴の住む小石川に10歳の玉を連れてで戻ってからの「苦労話」
露伴がうるさいじいさんだったのは有名。母親の文も、この人並み外れてうるさい親父をダシにいくつも本を書いている
孫は口うるさいじいさんと厳しい母親に育てられた何年間を書いて、芸術選奨文部大臣賞をとった
玉がどういう育てられ方をしたか、露伴や文がどんな暮らしをしていたかは大して興味もないし、面白くもない
私は生まれ育ちが、露伴の生まれた下谷三枚橋横町の近くなのだが、それでも面白くない
ところが終盤、様相は一変する
戦災を苦労してやり過ごした後の昭和22年、露伴が亡くなる「終わり」「”愛”」
そして「3日間」
母・文が病院で息を引き取り、母親のかねてからの希望でもあった小石川の自宅から送りたいと、葬儀の準備、通夜、本葬、焼き場へという話
大げさな修辞のない明瞭な文章
母を送る3日間を淡々と、深い愛情あふれる美しい言葉で・・・
この最終章は泣けます
10歳の玉をちびまる子ちゃん風にして?読んでいたから余計でした
還暦も間近というこのバカオヤジは、ホントに布団の中で泣きながら読みました
多分母親について他にも本がありそうだが、玉がこの少女時代を含めて自分の周りの人達をとても大事に思ってきたのがよくわかる
つまんないこと言うようだが、「女性の品格」という世にもくだらない駄文を読むくらいなら、この一冊をお読みななった方が100倍良い
藤田宜永「流砂」
藤田宜永「流砂」
「樹下の想い」「艶紅」「野望のラビリンス」が本棚にあった(多分他にもあるかも?^^;)
何でこんなくだらないの読むんだと、かつて罵られたが反論は出来ない
一時、連城三紀彦を続けて読んで、ほほえましい虚しさだと己をなぐさめても見たが、むなしかった
さて、予告もしたので「流砂」
気持ち悪い人たちが登場する
塩野という主人公からして気持ち悪い
50過ぎの大手新聞社の部長、心筋梗塞で休職中に療養がてら奥能登に旅に出て、旅館の女将の妹志津子と恋仲になる
女将は元芸者だったから、女将とすりゃ良かったとうそぶくと思いきや、女房と離婚する気も無し、旅の恥はかきすてじゃぁあるまいし、「別れ」に意味のない意味をを見いだそうとする
そもそもなんで志津子が良かったんだ?
タバコ、酒を注意してひかえるが、志津子とセックスする時には全くおかまいなし
普段は塩野を気遣う志津子もセックス場面では同様であるのだが、これ変だよ
心筋梗塞患者は、その場面じゃ結構気を遣うと思うよ
当然、腹上死とまでいかなくても不安はよぎる
でも、そんなこと一行も無しでがんばっちゃう
(オヤジ頑張ってるんだから、うるさいこと言うなってか)
志津子に一方的に思いを寄せる沈金師吉武は、無理に志津子に迫り、叶わぬとみるや、あろう事か恋敵の塩野に無理難題を言い出す
「志津子さんを一時、もてあそんだ男を演じて欲しい」
アホか、気持ち悪い
他にも、他人の女房をただ好きだからといって何十年も追いかけ回すストーカーオヤジが登場するに至っては、お笑いである
思うようにならない運命や人生の中であがいている様を言いたいのだとしたら、お粗末極まりない
情事の描写がきたない、不快な読後感であった
西木正明「凍れる瞳」「端島の女」
西木正明「凍れる瞳」(しばれる瞳)「端島の女」
88年の直木賞
若い人かと思っていたけど、僕より11も上
帚木蓬生のような真面目な小説
帚木のようにあんなに長くはない、短編
どっちも人の情感が豊かに溢れ、やるせない運命と哀しさが浸みますねぇ
とかなんとか・・・実のところ、何故か無感動に近い状態で読んでしまった
何故かは分かりましぇん
スタルヒンの「凍れる瞳」より「端島の女」の方が面白い
端島は軍艦島と呼ばれた炭坑の島
たまにテレビ放映もあるので見たことあるが、当時としては最先端の鉄筋アパート群、学校はもちろん映画館等もあった「未来都市」みたいな島だった
(どこぞから、失敬しました)
先週の日曜日にBookOffで100円の文庫を18冊買ったら、内5冊が家にあった
酒で頭が腐ってる所為で、既読を忘れているんだから、また読めばいいんだと一喝されたが、その所為かも知らん
スランプなんかね
んで、今藤田宜永の甘ったるい恋愛ものに手を出したのでコレはその内に・・・
乙川優三郎「蔓の端々」も途中で投げてるし・・・
スランプかね
角田光代「空中庭園」
角田光代「空中庭園」
ここんところ、アップしているカテゴリーは『読書』ばかりになってるが、先日、「書評、見てるよ」と言われて恥ずかしさの余り、思わす気色ばんで言い訳してしまった
あくまで、自分が読んだ本を記憶しておくためのメモみたいなもんで、読書感想文でもましてや書評ではない・・・と
従って、あらすじを書く必要もないと思っているのですが、「不特定多数への公開」という手段をとっているのだから、未読の人に対してある程度は・・・とも思う
また、「ブログ見てるよ」と言う人に、”このオヤジは、こんな風に考えているよ”と伝えたいなどと思っているのも、不遜と言われれば反論の余地はない
もちろん、拙い文であり、かつ古い思想の残滓を引きずっているポンコツオヤジが漏らす涎のような駄文におつきあいして戴いている事に対しては、正直感謝します
ブログがネット社会の生んだ一つの産物である以上、あと何年も続くものではないのでしょう
ネット社会とはそんなあやふやなものを一杯抱え込んでいるものだと思う
「個人情報」というものを誰が守るべきか分からないような時代に突入してきた今、あえて「公開」に踏み出す怪しさは、いったい何なのだろうか?
「連帯を求めて、孤立を恐れず」
かつて政治的な意味では納得し、社会論的には余り深く考えもしなかったスローガン?とも全く異質な怪しさだ
そりゃ、そうだ
ネット上での「共感」(これも怪しいが)はあっても、階級的な連帯は勝ち取れないわね
さて、「空中庭園」
つまらんことを言ってるオヤジであるが角田さん、これ、チョットつまんない
京橋家4人+おばあちゃん(一家の主人タカぴょんの妻の母)+ミーナ(タカぴょんの愛人の一人)の各自の独白で話が進む
息子のコウに言わしている「逆オートロック」
ウチの中まではオープンで誰でも入れるが、家族のそれぞれが硬い扉をもっている
家族内で何でも秘密無く話し合える、初潮お祝い(これウチやったような気がする)、夢精お祝い・・・
でも各自が扉=秘密を持っている
そんなの当たり前じゃん!!!
どこの家族でも似たり寄ったりだ!
どの独白にも言えるが、同じような文体、指向性、物語全体をみんなが仲良く守っている
ただ群を抜いてるのがおばあちゃんの章の「キルト」
これは面白い、長く生きるって事は面白い!
そして、もう一人加えて欲しかったのは、タカぴょんのもう一人の15年来の愛人・飯島
馬鹿なヒステリー女で終わってしまっているけど、こうゆう女をステレオタイプにして切り捨てるのは簡単だ
ぜひ参加してもらいたかった
多分角田にゃ、書けんだろ
浅田次郎「輪違屋糸里」
浅田次郎「輪違屋糸里」
壬生義士伝の後に書かれた同じ新撰組の話
芹沢鴨粛正に向かう中の、女達が主人公になっている
「輪違屋」は今でも文化財として残っている京都島原の置屋。そこに6才で売られてきた糸里という芸妓が題名になっているが、主人公は彼女一人ではない
別の置屋の吉栄、新撰組が壬生に屯所としている郷士八木家の妻おまさ、壬生郷士前川家のお勝、元江戸の莫連女で、お勝の弟の西陣屋の経営再建に成功したお梅
この女達がそろいも揃って強い
「どうやら女というものは刀を持たずに斬り合いが出来るらしい」とは、いよいよ芹沢を暗殺するために庭先に潜んでいた原田が沖田にもらした言葉だが、ここに登場する女達は調所で、刀を持たずに男を斬る
そろいも揃って見事な啖呵を男達に向かってきる
莫連女のお梅は江戸っ子だからべらんめいなので納得だが、芹沢暗殺直後、土方に叫んだ糸里の啖呵は圧巻である
芹沢暗殺の手筈は土方が描いているが、卑怯にも女の糸里に眠り薬を酒に入れさせ、寝込んだところを襲撃して、同衾していたお梅ごと殺してしまう
そして口封じに、土方は手助けした糸里、腹には芹沢と共に殺された平山の子がいる吉栄を殺そうとし、刃を突き付ける
ここがおなごの正念場や、もう誰も死なさんと糸里
「わけものうおなごを斬るのはおなごがおとろしいからや。あんたはんはお侍やない。おなごと一緒に田畑を耕してきたお百姓やから、おなごがおとろしうてかなんのやろ」
「あんたらは立派に踏み絵を踏んだおつもりやろけど、ここまでのお始末は会津の殿さんが、おぬしらは侍か百姓かと差し出した踏絵やろ。そしたら、この輪違屋糸里が、あんたらにもう一枚、踏絵を踏ましたる。どや、土方はん。お百姓のままでええのやったら、わてを斬りなはれ。どなたでもかましまへんえ。原田はんでも、沖田はんでも、何どしたら近藤先生をお連れしてでも、おとろしうてかなんおなごを、口封じに叩き斬ればええ。そしたらあんたら新撰組は、晴れて天下のどん百姓や」
幕末の時代が軟便の様に垂れ流した生まれた新撰組
どんなに描かれようともその役割は、屑であり糞である
歴史の流れは封建的な階級制を崩壊させ、ブルジョア革命の推進と内戦状態に突入する最中。存在そのものが糞である。
無内容な尽忠報国を叫び暗殺を繰り返す殺人集団に、敢然と女達は説教をする
母親の目で、アホな男を好きになった女の体で、命の尊さを訴える
そしてお梅のように自らを陥れた男に復讐もする
どうして男はこうもバカばっかりなんだろう、というのが始めから終わりまで貫き通されている
読んでいる時は新撰組なんだからしょうがないだろと思っていたが、読了後、己もまた同様のバカであることに気付くに至る(遅い!)
死ななきゃ治らないようだが、いい死に方はしないのであろう
説教してくれる女はなかなかいない、もしいたら大事にね
日経ビジネス・日本発もう一つのサブプライム
日経ビジネス 2007.12.24-31年末合併号
日本発 もう一つのサブプライム パチンコ大異変
つまらん提灯記事に相変わらずのめっている日経ビジネスだが、久しぶりにヒット
サブプライムローンに引っ掻けて、先端分野を走る優良企業のビジネスと格差で切り捨てられる階層が日本発のサブプライムローンになると警鐘。
パチンコ業界の売上高はトヨタ自動車を上回り、従業員数もトヨタと並んで30万人・・・といってもピンと来ないけど、セブンイレブンより店舗数が多いと言われるとビックリではないだろうか?
出玉規制・・・儲からない、サラ金規制・・・金借りられない、客減り、台の単価上昇、売り上げ減少と続き、銀行・リース会社の貸し渋り・融資引き上げになっていったら大変だと
賭け事嫌いだし、パチンコやってるとウンコしたくなっちゃうので無縁の世界だと思っていたけどね
なかなか説得力有り
ただ、現実には年明け以降、株激安・円高でそんなレベルじゃなくなったけどね
オムロンが玉数のセンサーで市場の7割、鍵は独占、シャープは液晶パネルの7割、スタンレーはLEDの5割のシェァ
あたかも馬鹿な業界に足突っ込んだもんだと言わんばかりの論調
もちろん一行もそんなことは書いてないよ
でも、透けてるよ
パチンコ店への打撃の要因が、出玉規制とサラ金規制だと言うの、ホントにそうなのかね
出玉規制は警察管轄
そもそも実際はこれがおかしいね
警察が業界規制、市場規制するのはどう考えても変でしょ
警察は交通規制までにしないと
もっと変なのは高利で貸し付けるサラ金に出資するばかりではなく、どんどん傘下に買収してる銀行やリース会社
かつて「金融寡頭制支配」をウンヌンしてたけど、11行あった都市銀行が3行になっちゃった
この国の生産様式は必然的に格差を当然生み出す社会だから、今更「格差社会の是正」って言っても詮無いことに、気付きもしないで騒ぐのも何だがね
「格差」なんて言っていられるうちは、まだ「大丈夫」ってことかね
金融機関のみならずあらゆる分野で企業統合が進む
当たり前のようだが、寡占・独占は危険極まりない
市場の成熟もあるだろうが、規制緩和の中でグローバルに競争を強いられ始めているから。単純に世界市場再分割戦とは行かないだろうが、基本的な構造は変わらない。国際的に見ると、中国市場に群がる姿は、かつての「列強」と大きな違いがあるのだろうか?
唯一、清国と違いがあって欲しい中国共産党はもうどうでも良いが、北京オリンピックは是非とも失敗して欲しい!と思うような、何だか分からないブログになってしまった。
あっ、これ期間限定にしようかな。
大沢在昌「新宿鮫Ⅴ・炎蛹」
大沢在昌「新宿鮫Ⅴ・炎蛹」
ほのおさなぎと読む
大沢の想像上の害虫だそうだ
驚異的な繁殖力で稲を食い荒らし、数年で日本の稲作は壊滅的な打撃を被るという「フラメウス・プーパ」の蛹が、コロンビアの出稼ぎ娼婦と共に新宿へやって来た。
最初は、虫の話ばかりで気持ち悪いので、読むの止めようと思った
しかも、「話が錯綜しているから、アンタには無理」と言われてもいたので・・・
しかし、同時平行に読んでいる本とのタイミングから?ほぼ一気に読んでしまった
何故なら、面白いから・・・
脇役の農水省横浜植物防疫所の防疫官・甲屋(かぶとや)のキャラが、役人のクセして情熱的、仕事に誇りを持っているという、ありきたりな、多少ステレオタイプな感じが気になるが、良い
「後記」で実際の横浜と成田の防疫官にお世話になりましたと5名の実名を上げているが、ホントに世話になったのだろう。
植物防疫は国防の最前線って、オレが言うのもおかしいか・・・
甲屋がおかまのたまきに好かれ意気投合するのだが、その場面がほとんど無いのが、チョイ残念
「放火」に対して、消防と警察とは解釈が大きく違うというのも興味深い
『消防では、発生した火災において放火以外の出火の可能性を考えられないものをすべて“放火”とみなします。一方、警察では、単に火災の発生を意図して火を放ったと言うだけでなく、その行為によって公共の危険を惹起した、という条件を必要とします。つまり、消防が“放火”と考えてる火災であっても、警察には公共の危険を感じられなければ、ちがうのです。“放火”と“放火犯罪”のちがい、とでも言えばいいのでしょうか。従って警察と消防の統計を比べてみると、「放火火災」の発生件数と「放火犯罪」の発生件数では5倍近い開きがあります。(中略)しかも、「放火犯罪」の件数が、この数年横這いであるのに比べ、「放火火災」の件数はどんどん増えています。』
コレは、桃井と並んで数少ない鮫島の良き理解者で優秀な鑑識の藪の大学時代の仲間・消防庁調査課吾妻の弁。(今回は良い脇役が揃いすぎだね。)
つまり、「放火が放火犯罪となるためには、被害者が必要なのである」
「消防は火災予防のための査察、立ち入り検査を行う。しかし警察は、犯罪予防のための捜査は行わない。それを行えば、市民生活への干渉となり、進んでいけば、秘密警察のような存在が跋扈する警察国家の出現を招きかねないからだ。」
これ大沢の弁である。
片方では、イジメやストーカー行為に対し被害を訴えても何もしない警察に対しての社会的批判があるが、その際の警察の反論と同じ論拠ではないだろうか。
何度も出てくるが、鮫島の警察官としての本文は「市民の安全を守る」である。
「市民」って誰?どんな階級的利害を持っているんだ?
「安全」とは何から安全なんだ?
「守る」に予防は入らないのか?
そうそう、保安処分はどうなったんだ?やりたいんだろ?色々形を変えてやってるじゃん
鮫島の活力が、そんな曖昧模糊として、あたかも万人受けするようなお題目にあるのでは薄ら寒い。
大沢・鮫島はこうも言う
「自分(警察)のみに正義が存在するとも考えてはいけない。警察官がすべての活動を正義に名の下におこない始めれば、暗黒の時代が訪れるだろう。 必要なのは考えそして判断することだった。警察官としての自分が、何をおこない得て、何をしなければならないのか。市民の安全を守るという、この確固たるものに見えて実は曖昧な目標に一歩でも近づくためには、どうすればいいのかを。」
これって浅沼稲次郎の「少しでも良い社会にしたい」というのと似てませんかね?
そう思うのは結構だが、アジテーションになったら地平が違ってくるはずだ
「市民の安全を守る」というのは警察ではない・・・警察には出来ないというのを身に浸みている鮫島さん
警察に対する絶望的な批判が必要です。
今回のように、役人の枠を越えた魅力ある脇役を多く登場させたのも、官僚機構・小役人根性の中では何もまっとうな仕事は出来ないという、国家組織への批判の気持ちもあるんでしょ?
コンプライアンス万全の新宿鮫は「安心」でもあるが、勝てないと思うよ
ところで、話は違うけど、最近新宿鮫を意識して銀座鰐が出現したんだって・・・?
ウーん? (?_?)
鰐は飼えないし、食べても美味くないんじゃないの?
疑問符の多い今回であったな
沢木耕太郎「テロルの決算」
沢木耕太郎「テロルの決算」
1960年、日比谷公会堂で社会党委員長浅沼稲治郎が右翼の山口二矢に演説中に刃物で刺され、殺された事件の話。
9才だった私は、鮮明に覚えている。
その後のニュース映像で繰り返し、刺殺場面が流された所為もあろうか。
二矢と書いて、オトヤと無理に読ませて名付けたのは父親だが、理由も今回初めて知った。次男で二月二十二日生まれだから。
浅沼を刺殺したのが十二日なら、事件から3週間後、少年鑑別所で首つり自殺したのが二日。関係ないか。
浅沼、二矢それぞれの生い立ち、生活、政治的社会的背景があり、60年安保闘争後の10月12日に向かって二人の心情、政治的言動が並列して描かれているが、浅沼の方の話は余り面白くない。
「人間機関車」と呼ばれた男の政治的主張は、「少しでも世の中を良くしたい」と言うもので、どうやらマルクスもレーニンも殆ど読んではいなかったようだ。
そもそも終戦直後、浅沼が司会をした社会党の結党大会で、「只今より、皇居に向かって遙拝します」といって頭を下げ、準備会合では「天皇陛下万歳!」を叫んでいる。出席していた荒畑寒村が唖然としたそうだが。
言ってみれば大衆運動活動家なんだろうけど、革命運動の指導者ではない。政治的主張は紆余曲折し、当然政治的な立場も風見鶏そのもの。社会党内の左右対立の中でポナパッっていたのも、主義主張からではなく「ヌマさん」、庶民的で、外目からは親近感があったからだろう。
右翼テロに倒れる程の革命家ではなく、10月12日に向かっていく浅沼の緊張感も政治的高揚もない。
比べて二矢は、赤尾敏が「右翼小児病」と呼んだように、浅薄で、すぐにキレやすい、視野の狭い、思いこみの激しい、典型的な右翼少年。
紹介される思想的な発言もお粗末だが、浅沼刺殺に至る過程も、練られた計画性なんて無いに等しく、ハッキリ言って行き当たりばったり。
だって、浅沼じゃなくても良かったんだから。
しかし、ヤっちゃうところがエライ。
10月12日の事件は突然、偶然のように出現したのだが、この日に向かって、このテロに向かって上りつめて行ったのが、よく解る。
緊迫感は圧巻である。
毎日新聞のグータラカメラマンはこのテロの決定的写真で日本人初のピュリッツァー賞。
NHKは大洋ホエールズvs大毎オリオンズの日本シリーズ第2戦を放映。大洋の本拠地川崎球場。
大毎の監督は西本幸雄。NHK以外みんな無くなりましたが、面白いのでご紹介。
大毎は大映と毎日新聞が持っていた。当時は田宮、榎本、山内なんかがいてミサイル打線って呼ばれてた。懐かしいねぇ、ご老人。南千住の東京球場だよ、小便臭かったなぁ・・・
3対2、大洋1点リードで、8回裏大毎の攻撃。一死満塁の絶好のチャンス。ここで西本監督のサインは何とスクイズ!しかし打球は捕手前。当然ダブルプレーで万事休す。
このお馬鹿なバントの直後に、「浅沼委員長、暴漢に刺さる」という「特別ニュース」のテロップが流れたんだそうだ。
ついでに二矢のオヤジさんが面白い。
芝居の道を目指すが失敗後、自分で占って警察予備隊(自衛隊)に入る。
二矢が捕まった時、警察での事情聴取の際「夕方までには終わるでしょうか?」と尋ねる。
オヤジさんはあと2年で自衛隊を定年で、その後の人生のためにと工学院の建築科夜間部に合格したのだが、その日は入学式だったのだ。自分の子供がしでかした事の重大性より、自身の入学式を優先する。
これって、どっかのオヤジみたいで好きだね、肩叩きたくなるね、ポンポン。
さて以下、テロについての本題は、割愛させていただく事に致しましょうかね
早坂隆「世界の日本人ジョーク」
早坂隆「世界の日本人ジョーク集」¥760-
社内フォトコンテスト用の写真の上がり時間の間、ミッドタウンのTSUTAYA書店でパラパラ
こんなのがあった
サウナでアメリカ人の裸の腰がブルブルと鳴る
”埋め込んだパケットベルだ”
次に日本人の手がビリビリ
”高性能チップの携帯だ”
それを見たロシア人はトイレに行き、戻ってくると、尻にトイレットペーパーの切れ端をを付けている
”おお、FAXが来たようだ”
チョイ古い感じもするが、お尻にカミをぶら下げてくる姿が、何とも可愛らしくも、いじましい
書き上げが2005年、使われている資料が4,5年前、著者が紹介するかつて御自身が居た東欧はまだ旧「ユーゴスラビア」
紹介文が所々やや陳腐な感じがするのも、世界情勢の移り変わりが急激であるからだろうか
人種や民族の持つ社会的文化的アイデンティティ・特質を比較して笑いの種にするのをエスニック・ジョークと言うそうだ
アメリカ人=独占的、傲慢、自慢好き、訴訟好き
イギリス人=紳士、堅苦しい、味音痴
ドイツ人=真面目
フランス人=好色、グルメ
イタリア人=情熱的
ロシア人=酒好き、物がない
ユダヤ人=狡猾、金儲けが巧み、議論好き
・・・まあ、そうなのかね
民族性の相違を物笑いの種にして、ユーモアだといって遊ぶのに殊更どうこう言うつもりもないが、アメリカ社会の中のホーランド系、フランス人の中のベルギー人が「愚か者」「間抜け」の象徴として笑い(嘲笑ですな)のネタになっているのは、始めて知った
んで、好きなのをご紹介・・・
お金で幸福が買えるとしたら、何を買うか?という問に、
フランス人は”ワインとチーズ”と言った
イタリア人は”サッカーとパスタ”
日本人はこう言った
”買えるのならもちろん買います。あと、領収書お願いします”
面白くもあるが、ゴミ箱行きだぁね、こんな本
横山秀夫「影踏み」
謹賀新年
横山秀夫「影踏み」
泥棒の真壁(ノビ師と呼ばれる忍び込みのプロ・愛称ノビカベ)が主人公
夜中、家の人が寝入っている時に侵入してお仕事
空き巣とは違う
ここんとこ重要
出所後、中耳(ちゅうじ)に聞こえる双子の弟の「声」と掛け合いながら、色々お仕事する
弟は母親に父親もろとも焼き殺された
母親も当然焼死
背景もさることながら、ノビカベの精神構造は武士そのもの
ストイック
連鎖のある小物語が繋がっていくが、後半に入ってからの、「使徒」がいい
ここだけ、話の着想が違う感じ、甘い
服役中にサンタクロースをやってくれと、大野という泥棒にお願いされる
大野の仲間が、自分の一人娘のためにクリスマスプレゼントを盗むが、しくじる。守衛に追いかけられながら娘にプレゼントの人形を渡した直後、娘の目の前でバイクにはねられ即死する
娘は親戚に引き取られ、惨めな境遇にある。
大野は5年間もその娘のために、サンタをやってきた
イヴの晩に忍び込みプレゼントを置いて来るという、ノビ師じゃなければ出来ない仕事
泥棒版あしながおじさん
大野がどっからそんなエモーションをかき立てていたのかは分からないが、今年はクリスマスには出所出来ないからと、真壁に頼み込む
「俺が知ってるまともなノビ師はお前だけなんだ」と
真壁は出所後、用意されてるはずのプレゼントがないので、自分で用意する
ポケットの中の3万円は、盗んだ金
こりゃ使えない、と思うところが潔い
火事で死んだ父親の形見の時計を質に入れ、代わりにペンダントを買い・・・
サンタさんになって・・・忍び込んで・・・プレゼントを置いてくる・・・
泣ける要素は他にもあって、更に泣けます、しばらく泣けます、2度3度と泣けます
多分、人には話せないね
話している傍から泣いちゃうから
ラーメン用のどんぶりに入った哀しい年越し蕎麦
下記は一句です
年越しを早く済ませたい年越し蕎麦
川端康成「古都」
川端康成「古都」
朝日新聞の連載小説だったそうだ
東山魁夷の口絵
豪華ですね
「雪国」は2度読んだが、直近が去年だったと思う
駒子がどうしても宮沢りえになってしまい、お茶のCMもあってか妙に愉しく読んだ
東京下町育ちのオヤジには、どうも京都弁が理解不能
「ふん」と話し言葉の始めにあったら、「ふん、何言ってんだよ」の「ふん」だよ
お嬢さんである千恵子の「ふん」は、力の入らない「ふん」
「ふー」に近いんだろう
赤ん坊の時に捨てられたが良い夫婦に拾われ、大事にお嬢さんとして育てられた千恵子と、捨てられなかったが、両親を早くになくして貧しい環境に育った苗子の双子の姉妹
全く異なる環境に育ったけれど、二人とも美しく、そっくりさん
そんな二人が出会う場面がとてもいい
抑えた描写の中に運命的な邂逅がせつなく、美しく、その後の哀しい展開を予測させる
だけど、この後はよく解んない箇所が出てくる
この頃は川端は「眠り薬」に依存しており、その後の自殺へと続く道程の上に乗っている
自殺は10年後
「あとがき」にある
「私は毎日『古都』を書き出す前にも、書いているあいだにも、眠り薬を用いた。眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた。眠り薬が書かせた様なものであったろうか。『古都』を「私の異常な所産」と言うわけである」
さてさて、苗子の心持ちが、私には理解しがたいではないか
小説は、最後に苗子と千恵子が共に一夜を過ごし、苗子が帰って行くところで終わる
その夜苗子は、千恵子を捨てた親にかわって「かにしとくれやす」と謝る
「それが、苗子さんに、なんの責任や罪がおすの?」(千恵子)
「そんなことやおへんけど、前にも言いましたやろ。苗子は、お嬢さんの、おしあわせに、ちょっとでもさわりとうないのどす。」と苗子は声を落として、「いっそ、きえてしまいとおす。」
川端の小説を「美しい」というなら、ここでしょう
情景描写、特に京都に詳しい御仁や京都生まれ・育ちにはたまんないでしょうな、風物詩のような祭りの紹介もいいでしょう
でも、そんなとこではなくて、せつないとかさびしいという情感が「美しい」と同居しているからでしょうかしらん・・・
























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