読んだ気がしてたけど、全く読んでなかった藤沢周平の一冊
誰もが知ってる小林一茶の生涯のお話
俳句なんかに興味ない人でも、複数以上の句を知っている作者は、芭蕉と一茶でしょう
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
やれ打つな蠅が手をすり足をする
やせ蛙負けるな一茶ここにあり
我と来て遊べや親のない雀
めでたさも中くらいなりおらが春
名月を取ってくれろと泣く子かな
ねっ、俳句なんかに興味ないオヤジでもこの通り
わかりやすく、誰でも親しみがわく句が多い
65歳で死ぬまで2万以上も詠んだそうな
この世の全てを俳句にしちゃうんですな
しかし、この藤沢周平「一茶」を読むと、間違いなく一茶感は変わる
単純なこのバカオヤジは一茶が大嫌いになったもんね
ここに出てくる一茶は、まさに
モンスター
モンスター・ペアレントなどと呼ばれているあのモンスターですよ
義母とうまくいかず上京してきた一茶(弥太郎)がまず発揮したモンスターぶりは、一度も会ったこともない人の弟子だと名乗り、その庵も我が物とするあたりからはじまる
当時の俳諧師の収入はもっぱら自粋筋からのおこずかい
旅と称して、地方行脚よろしくそこそこで句会なんかを開いてもらい草鞋銭を頂戴する
有名になれば江戸だけではなく地方の富裕層からの実入りも多いが、51歳で故郷柏原に戻らざるを得なかった一茶は江戸で大成したわけではなかった
故郷に錦を飾るどころか、父親が残した遺産を奪いに帰るのである
この遺産奪取劇は、ヤーさんもびっくりである
父親が残した遺言状には、財産は一茶と弟に二分するとあったのだ
これを盾に取り、半分よこせと主張するのだが、弟と継母さとの懸命の働きで財産は父親の時代の2倍にもなっていたのだ
弟と継母にすれば、自分たちが朝から晩まで田畑を耕し働いて築いた土地家屋を、若いころ江戸に行ったきり、仕送りどころか何もしないで帰ってきて、遺言にあるから半分よこせはないだろう
しかも、江戸でそれなりには食べていけると言うじゃないの
当然の反論ですよ
一茶の実の母は幼いころに死に、後妻のさととはうまくいかなかった
これがもとで一茶は江戸に出るのだが、俳諧の道で確固たる安定収入と住処を持てなかったのだ
脱却しきれない貧しさと焦燥、老いてから地方巡業で生き倒れになることへの恐怖
これらマイナスの人生も全て継母さとが悪いんだと独善的に思い込み、遺産を奪いに故郷へ帰り、長年続く遺産相続争いに勝利する
2倍に増えた財産・土地家屋すべて折半
ここまでは遺言状もあるのだから仕方ないとしよう
だが、モンスター一茶はもっとスゴイのだ
「『本来なら遺言書通り、親爺が死んだ年に財産を分けるべきだったことは分かっているな。それがこの前の相談ができるまで延びのびにおなっていたということなのだから、親爺が死んだ年から田畑を分けた年までの田畑の収入は、仙六(一茶の弟)が一人で横領していたということになる』
「だから7年間の田畑の収入から、半分の代金を元利ともにもらいたい。また遺言状によって、一茶のものになるべきはずだった家屋敷に、これまでずっとすんでいたわけなのだから、この分の家賃もまとめて受け取りたい。計算したところ、籾(もみ)代金と家賃はあわせて三十両になる」
この一茶の言い分は、一見理路整然としているようなのだが、大きな間違いである
自分勝手、自己中心的、弟、義母ら農民の苦労を何一つわかろうともしない
自分の苦しい状況ばかり、相手の事は一切眼中になし
貧しい俳諧師の道は、一茶自身が選択し、確固たる地位を築けなかったのも一茶自身の問題である
一茶にはむしり取れるとこがあったからいいよね
そうじゃなかったら、どうでしょう、全てを肉親や社会のせいにして悲惨な結末の事件の犯人に一茶はなっていたのではないかしらん
実は、この一茶まがいの、いや一茶と同じ手口にあったことがある
金銭欲とはまるで無縁と思っていたその御仁は、実は金の亡者だったのだ
「おれが働いていたら一億円稼いでたのだから、一億円よこせ」
ときたもんでしたよ
ねっ、冒頭の心やさしい俳句を作る一茶と同様、モンスターは羊の皮をかぶっているらしい

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