沢木耕太郎「テロルの決算」
沢木耕太郎「テロルの決算」
1960年、日比谷公会堂で社会党委員長浅沼稲治郎が右翼の山口二矢に演説中に刃物で刺され、殺された事件の話。
9才だった私は、鮮明に覚えている。
その後のニュース映像で繰り返し、刺殺場面が流された所為もあろうか。
二矢と書いて、オトヤと無理に読ませて名付けたのは父親だが、理由も今回初めて知った。次男で二月二十二日生まれだから。
浅沼を刺殺したのが十二日なら、事件から3週間後、少年鑑別所で首つり自殺したのが二日。関係ないか。
浅沼、二矢それぞれの生い立ち、生活、政治的社会的背景があり、60年安保闘争後の10月12日に向かって二人の心情、政治的言動が並列して描かれているが、浅沼の方の話は余り面白くない。
「人間機関車」と呼ばれた男の政治的主張は、「少しでも世の中を良くしたい」と言うもので、どうやらマルクスもレーニンも殆ど読んではいなかったようだ。
そもそも終戦直後、浅沼が司会をした社会党の結党大会で、「只今より、皇居に向かって遙拝します」といって頭を下げ、準備会合では「天皇陛下万歳!」を叫んでいる。出席していた荒畑寒村が唖然としたそうだが。
言ってみれば大衆運動活動家なんだろうけど、革命運動の指導者ではない。政治的主張は紆余曲折し、当然政治的な立場も風見鶏そのもの。社会党内の左右対立の中でポナパッっていたのも、主義主張からではなく「ヌマさん」、庶民的で、外目からは親近感があったからだろう。
右翼テロに倒れる程の革命家ではなく、10月12日に向かっていく浅沼の緊張感も政治的高揚もない。
比べて二矢は、赤尾敏が「右翼小児病」と呼んだように、浅薄で、すぐにキレやすい、視野の狭い、思いこみの激しい、典型的な右翼少年。
紹介される思想的な発言もお粗末だが、浅沼刺殺に至る過程も、練られた計画性なんて無いに等しく、ハッキリ言って行き当たりばったり。
だって、浅沼じゃなくても良かったんだから。
しかし、ヤっちゃうところがエライ。
10月12日の事件は突然、偶然のように出現したのだが、この日に向かって、このテロに向かって上りつめて行ったのが、よく解る。
緊迫感は圧巻である。
毎日新聞のグータラカメラマンはこのテロの決定的写真で日本人初のピュリッツァー賞。
NHKは大洋ホエールズvs大毎オリオンズの日本シリーズ第2戦を放映。大洋の本拠地川崎球場。
大毎の監督は西本幸雄。NHK以外みんな無くなりましたが、面白いのでご紹介。
大毎は大映と毎日新聞が持っていた。当時は田宮、榎本、山内なんかがいてミサイル打線って呼ばれてた。懐かしいねぇ、ご老人。南千住の東京球場だよ、小便臭かったなぁ・・・
3対2、大洋1点リードで、8回裏大毎の攻撃。一死満塁の絶好のチャンス。ここで西本監督のサインは何とスクイズ!しかし打球は捕手前。当然ダブルプレーで万事休す。
このお馬鹿なバントの直後に、「浅沼委員長、暴漢に刺さる」という「特別ニュース」のテロップが流れたんだそうだ。
ついでに二矢のオヤジさんが面白い。
芝居の道を目指すが失敗後、自分で占って警察予備隊(自衛隊)に入る。
二矢が捕まった時、警察での事情聴取の際「夕方までには終わるでしょうか?」と尋ねる。
オヤジさんはあと2年で自衛隊を定年で、その後の人生のためにと工学院の建築科夜間部に合格したのだが、その日は入学式だったのだ。自分の子供がしでかした事の重大性より、自身の入学式を優先する。
これって、どっかのオヤジみたいで好きだね、肩叩きたくなるね、ポンポン。
さて以下、テロについての本題は、割愛させていただく事に致しましょうかね
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