鴨長明「方丈記」
今でも諳んじれる
憶えているもんだね![]()
この方丈記をはじめ、つれづれなるままに日暮らし綴りに向かいて心に移りゆくよしなしごとをの徒然草、祇園精舎の平家物語、いずれの御時にかの源氏物語、月日は百代の過客にしていきこう年また旅人の奥の細道・・・
意味もなく良く憶えましたね、ホント受験勉強は恐ろしい
40年も経っているのに、ただでさえボケているのに、酒毒で脳細胞がドンドン破壊されているに、亡霊のように蘇ってくる
何の意味もなくね・・・
さて、方丈記
全部読むのは初めて
私のように冒頭文だけで終わっている人は多いでしょう
そのあまりにも有名な冒頭文
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし」
私はこの後直ぐに次の一文が続くものと思っていた
「朝(あした)に死に、夕べに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける」
だけどこの間には、都の家々はよくみると時と共に焼けたり、造ったりと変化していて、人も代わり昔からの知り合いも少なくなったとかいう文が入っていた
ちょっと興ざめする文である
冒頭文は、仏教思想ではあるけれど『無常観』という人智、時空を越えた世界観を格調高く、ものの見事に言い切っている
それに比べて、途中の一文は世俗、世風に視線が落ちてしまっている気がしてならない
この後、方丈記は大火事や大風、福原遷都の愚策、水害、地震などに苦しめられる様相や世相の荒廃の記述に多くを費やしている
ここんところ結構つまらない
終盤にきて鴨長明自身の閑居生活を述べはじめる
「すべて、あられぬ世を念じ過ごしつつ、心を悩ませる事、三十余年なり。その間、をりをりのだがひめに、おのづから、短き運をさとりぬ。すなわち、五十(いそじ)の春を迎へて、家を出て、世を背けり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。」
京都下鴨神社の正禰宜(しょうねぎ)、たぶん一番エライ父親の次男として生まれ、宮廷歌人としても活躍していた長明は50歳の時に出奔し、58才で「方丈記」を書く
19才の時に父親が死に、そのことによって下鴨神社の禰宜になれなくなってしまい、絶望のどん底に突き落とされる
旺文社文庫版の訳注解説の今成元昭さんによると、長明世俗的な欲望が強かったようだ
和歌への傾注もその反動だ
そして、父親の死後30年も経ってから、父親の後を継ぐ下鴨神社の禰宜職への前段として、摂社である河合社(ただす)の禰宜に欠員がでる
いわば支社長、父親もこの職を経て社長になっているので、ここから昇進の道が開けるというものだ
客観情勢は長明有利、後ろ盾の後鳥羽院も長明を推す
自分でもほぼ決まりと思ったようで、「よろこびの涙、せき止めがたき気色」(今成解説)
ところが、現社長が反対、自分の子供を推薦する
その理由は、我が子の方が位が高く、基本的に禰宜職は現代でも流行の世襲制だから、しかも長明は歌ばかりに専念して仕事していない
これは後鳥羽院も反論出来ないくらいの正論だったのね
そして出奔![]()
「神」と名がつくものには興味ないのでよくわからないけど、神社組織の中で色々あったにせよ、これが長明の出奔理由であったとはナンとも情けない
後ろ盾の後鳥羽院の援助も蹴ってしまう
ちなみにこの時の後鳥羽院の救済策は、長明を一旦どこかの支店長にして、その支店を格上げしようというあからさまな愚策
浮き世の神組織のいじましさよ
現代の浮き世じゃ自分で起業するかライバル会社に入って汚名をそそぐかだわね、ずっと健康的だよ![]()
いずれにしても、ここから長明の隠遁生活が始まる
あげく歌の道も止めてしまう
得意な和歌は、寂しい遁世をなぐさめる方便だと思うが、よっぽど嫌世感が強かったんだろうか
神職だって別に首になったわけじゃなし、歌壇の地位も高い
言ってみれば天上人の類だろうにね
この出奔後大原で5年暮らした後、日野に移る
「ここに、六十(むそじ)の露消えがたに及びて、さらに、末葉の宿りを結べる事あり。いはば旅人の一夜を造り、老いたる蚕の繭を営むがごとし。」
「とかく言うほどに、齢は歳歳に高く、栖(すみか)は折々に狭し。その家のありさま、世に常にも似ず。広さはわずかに方丈、高さは七尺がうちなり。」
方丈って、3×3メートル
小さい、小さすぎる![]()
ずっとここにいると決めた訳じゃないので、何かあったら移動も楽だろう、車2台分しかない、運搬費だけですむって言ってるくらいだから、ホントに小さかったんだろう
「それ、三界は、ただ心一つなり。心、もし安からずは、象馬・七珍もよしなく、宮殿・楼閣も望み無し。今さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でて、身の乞碍となれることを恥づとへども、帰りてここに居る時は、他の俗塵に馳することをあはれむ。」
三界とは一切の世界。この内容は難しい。
欲界:淫欲・食欲のあるモノの世界
色界:淫食の二欲を離れたモノの世界
無色界:モノを離れて澄み切った識だけの世界
どうせ、一番始めの欲界に沈殿しているので他の二界は知るよしもなし![]()
つまりは、すべては心の持ちようで、小さいながらも愛すべき我が家だって言ってるの
ウソだと思うなら、魚を見よ、魚は水に飽きないし、鳥は林での生活を望んでいる、魚や鳥じゃなければその気持ちはわかんないでしょ、だから、
「閑居の気味も、また同じ、住まずして、誰かさとらん」
ハイハイ、そうですね
全くのホームレスっぽい手作り小屋で、粗食極まりないようなことを書いてはいるが、鎌倉で実朝と何度も面会しているし、頼朝の命日には法華堂で読経している
資金的援助もあったわけですね![]()
正直、ちょっとホッとしました![]()
「方丈記」を書いた4年後に長明は死ぬ
1155~1216年
















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